歌劇団の舞台にも... [サンスターシオノギ]
大阪の大劇で公演されたOSK「大阪松竹歌劇団」の第28回「春のおどり」(昭和28年)の様子を再現した舞台模型です。
舞台の幕の左にペンちゃんの絵があります。幕の右側には「グリーンサンスター シオノギ」という文字が入っています。箱の右下には「第28回 春のおどり公演記念 大阪 大劇 松竹歌劇団松組出演」というプレートが付いています。
紙で舞台の様子を再現しています。結構奥行きがあって、立体的に作られています。残念なのは舞台の上に付いていたであろう提灯が「ど」の字しか残っていないことです。おそらくは「春のおどり」とあったものと思われます。
外箱のラベルによると「第1景”聚楽の春”」とあります。また、「第1景舞台衣裳大丸百貨店提供」とあります。
この模型の上部にはセロハンが付いた明かり窓が付いています。上から光を当てるとまるで舞台照明のような雰囲気が楽しめます。
この舞台にサンスターが関わっていたことはわかるのですが、大劇の幕に元々サンスターのペンギンが描かれていたのか、それともこの公演又はOSKのスポンサーで、この模型にのみ描かれているのかどちらでしょうね。また、この模型はお土産品として発売されていたのか、それとも関係者に配られた非売品だったのか。
舞台の幕の左にペンちゃんの絵があります。幕の右側には「グリーンサンスター シオノギ」という文字が入っています。箱の右下には「第28回 春のおどり公演記念 大阪 大劇 松竹歌劇団松組出演」というプレートが付いています。
紙で舞台の様子を再現しています。結構奥行きがあって、立体的に作られています。残念なのは舞台の上に付いていたであろう提灯が「ど」の字しか残っていないことです。おそらくは「春のおどり」とあったものと思われます。
外箱のラベルによると「第1景”聚楽の春”」とあります。また、「第1景舞台衣裳大丸百貨店提供」とあります。
この模型の上部にはセロハンが付いた明かり窓が付いています。上から光を当てるとまるで舞台照明のような雰囲気が楽しめます。
この舞台にサンスターが関わっていたことはわかるのですが、大劇の幕に元々サンスターのペンギンが描かれていたのか、それともこの公演又はOSKのスポンサーで、この模型にのみ描かれているのかどちらでしょうね。また、この模型はお土産品として発売されていたのか、それとも関係者に配られた非売品だったのか。
自転車やバイクの荷台には [サンスターシオノギ]
正式名称は「引幕」 [サンスターシオノギ]
豪華景品しかもセットで [サンスターシオノギ]
サンスターは定期的に様々な景品や抽選をしていたようですね。関連グッズをいくつも見かけます。
これもその一つで、グリーンサンスターの店頭での吊り広告です。
特賞が≪14インチのテレビと電気洗濯機と電気冷蔵庫の3点セット≫と豪華ですね。しかも、代わりに現金15万円でもOKとは、今では考えられません。
1等はテレビ(又は現金8万円)で2等が電気洗濯機、3等がペンギン鉛筆しかも3等と言いながら参加賞でもある。
時代を反映している点がいくつもありますね。先ず、歯磨きが「半煉」、洗濯機も冷蔵庫もわざわざ「電気」と断っている点、そして、テレビが「カラー」とも「白黒」とも言っていないのはカラーテレビがまだ存在していなかったからでしょうね。
これもその一つで、グリーンサンスターの店頭での吊り広告です。
特賞が≪14インチのテレビと電気洗濯機と電気冷蔵庫の3点セット≫と豪華ですね。しかも、代わりに現金15万円でもOKとは、今では考えられません。
1等はテレビ(又は現金8万円)で2等が電気洗濯機、3等がペンギン鉛筆しかも3等と言いながら参加賞でもある。
時代を反映している点がいくつもありますね。先ず、歯磨きが「半煉」、洗濯機も冷蔵庫もわざわざ「電気」と断っている点、そして、テレビが「カラー」とも「白黒」とも言っていないのはカラーテレビがまだ存在していなかったからでしょうね。
これもサンスターの看板です。 [サンスターシオノギ]
ペンギン会員の店 [サンスターシオノギ]
なぜ「サンスター=ペンギン」なのか [サンスターシオノギ]
さて、なぜ「サンスター=ペンギン」なのかはサンスターの社史にその経緯が詳しく書かれています。
手持ちの昭和60年7月30日発行の「サンスター40年の軌跡」という社史によると、戦中戦後の物資不足から、錫が煉歯磨きを入れる容器として使用禁止になったため、抜け道として「化粧品歯磨が駄目なら薬用歯磨でいこう」との社長の決断で塩野義製薬と提携したことがきっかけです。
宣伝活動を担当した塩野義製薬はマスコミを効果的に利用するには「アイキャッチャー」が必要だと考え、広告媒体としての新聞(当時は新聞ぐらいしか広く広報できる媒体がなかった)で「単純に白黒で印象強く表現できるもの」「清潔感、親しみやすさ、家庭的で夢のある雰囲気」としてペンギンを選びました。
第1号のペンギン広告は≪昭和23年7月17日の大阪新聞≫に掲載されました。(さすがに私もこの広告=新聞は持っていません)
ちなみに、この広告は塩野義製薬が出したもので、商品名が「サンスターシオノギ」です。
会社名がサンスターになるのは昭和25年11月10日です。
手持ちの昭和60年7月30日発行の「サンスター40年の軌跡」という社史によると、戦中戦後の物資不足から、錫が煉歯磨きを入れる容器として使用禁止になったため、抜け道として「化粧品歯磨が駄目なら薬用歯磨でいこう」との社長の決断で塩野義製薬と提携したことがきっかけです。
宣伝活動を担当した塩野義製薬はマスコミを効果的に利用するには「アイキャッチャー」が必要だと考え、広告媒体としての新聞(当時は新聞ぐらいしか広く広報できる媒体がなかった)で「単純に白黒で印象強く表現できるもの」「清潔感、親しみやすさ、家庭的で夢のある雰囲気」としてペンギンを選びました。
第1号のペンギン広告は≪昭和23年7月17日の大阪新聞≫に掲載されました。(さすがに私もこの広告=新聞は持っていません)
ちなみに、この広告は塩野義製薬が出したもので、商品名が「サンスターシオノギ」です。
会社名がサンスターになるのは昭和25年11月10日です。